19 8月

「『しんどさ』の傍らに存在感」

私が精神の世界に関係をしてから、隣人の傍らで何千回傾聴してきたことか。
当事者たちから、ある言葉をなげかけられても、「詮ずる所応答かなわず」の現実があった。
それが、「しんどさ」ゆえの「しんどい」と言う重ねての訴えであった。どんなに尊い隣人であったとしても、交代できない「しんどさ」に・・・私は、ただただ、「存在感」がたたずむだけ。ただただ、「存在感」がよりそうだけであったと想起する。そこにおいては、静寂につつまれた「沈黙」が私の祈りとなり、歳月が流れた。
君よ、「しんどい」から、「どうしたいのか」。満足できる応答でなかったにしろ、隣人へのその投げかけだけが、私自身の「しんどさ」からの解放的応答に変わっていった。
それと同時に、向き合う隣人の「しんどさ」からの解放的応答と交わる体験となってゆくのを感じて今日にいたる。